ウソ・ウソ・ウソ、嘘で血塗られた王国
TOPページに戻る                 2010.11.14

6・25南侵戦争の三年間だけで戦死した犠牲者は百五十万人、また三百万人以上だという説がある。
 また食料と医薬品の不足などで餓死・自殺・病死した北朝鮮住民犠牲者は1994年から約五年間だけで、約三百万人だと説がある。
 では、六十数年間にマグチャビ粛清(処刑)された北朝鮮住民は、何人なのであろうか。元北朝鮮当局者は「総人口の内、二人に一人は粛清されたと思う」と語っていた。
 粛清犠牲者は二千万人を遥かに越えるというのであろうか。
 

 1945年8月15日に韓半島全土に轟いた「祖国解放(光復)の大歓喜」を霧散させた南北分断の悲劇の「南北一千万離散家族の悲劇」の犠牲者は、今では韓国内だけで約八百万人(子孫含む)と云われる。では北朝鮮は勿論、日本・米国など世界中の南北離散家族は、何人なのであろうか。
 

 脱北難民たちは「金正日は悪魔だ」と罵り金正日政権打倒を訴えていた。
 はたして金正日と父親・金日成主席は、何者なのか。


1.北朝鮮の故・金日成主席の正体。


 金日成主席は、抗日の伝説英雄金日成将軍だと豪語しているが、本当なのか。
 一言で答えれば、金日成主席は抗日の伝説英雄金日成将軍ではない。まったく別人の金成柱である。
 金成柱は1912年4月15日に平壌近郊の平安南道大同郡古平面南里、現在の万景台の農家で父・金亨稷と母・康盤石の長男として生まれた。七歳のときに両親と満州へ移住し、中国吉林の中学校を中退した後、19歳の時に南満州地区で抗日活動に参加したが日本軍に追われ、ソ連のウラジオストックに逃亡し、ソ連の軍人になり、スターリンが「極東アジア(朝鮮と日本)共産化」のため、極秘裏に編成した極東アジア侵略軍である朝鮮人と中国人の混成部隊・ソ連極東軍第八十八特別旅団第一大隊の一部隊長になった。何より恐ろしいのは金成柱が金日成に改名した目的は「朝鮮の抗日伝説英雄・金日成将軍」に成りすますためであった。

  もし抗日闘争36年の英雄・金日成将軍が実在していたなら、1945年当時の年齢は65歳前後だと推定される。だが1945年当時の金成柱は若干33歳であった。日韓併合の1910年に金成柱は、この世に誕生していなかった。
 金成柱は1945年8月15日には朝鮮にいなかった。7歳から33歳までの26年間、朝鮮の国内にいなかった金成柱が、どうして朝鮮で抗日闘争を展開できるのか。金成柱が、ソ連の軍艦「ブガチョフ」でソ連のハバロフスクを出港し、朝鮮の元山港に上陸したのは、1945年9月19日であった。北朝鮮の故・金日成主席は「金日成将軍の偽物」であり、金正日は「金日成将軍の偽物・金成柱の息子」であった。
 

 なぜ北政権が世襲に固守するのか。それは世襲しなければ、金成柱ファミリーの大嘘の秘密が公開され、真実を知った北朝鮮公民によって、金成柱ファミリーが八つ裂きにされるからだ。金成柱の金日成将軍偽装犯罪、ソ連で生まれたユーラ(金正日)の金日成将軍の息子という後継者偽装犯罪を隠蔽する術は、嘘を正当化する世襲独裁政治の断行以外に方策はなかったのである。
  

 在日コリアンだけでなく日本・韓国・各国の政府と市民は 気付かぬうちに金成柱と金正日の嘘を信じる犠牲者になっていた。

 
2。金成柱を金日成将軍に仕立て祭り上げたのは、どこの国の誰か。


 韓国の新聞社「東亜日報」の元社長で、言論人であり、歴史家である金学俊先生は、「スターリンが金成柱を選択したのであり、それがすべてだった」と、また「だからこそ金成柱は、スターリンに対して歯が浮くような追従を何憚ることなく行った。ソ連が北朝鮮を占領統治した三年の間、金成柱の演説を、ざっと眺めわたしてみると、スターリンへの称賛と、へつらいを除けば、何も言っていないに等しいことが、自ずと解り、ほとんど吐き気をもよおすほどである。(中略)…スターリンの誕生日の度に、彼の長寿を祈願する北朝鮮民衆の手紙を大量に送る運動、そして北朝鮮女性の刺繍を送る運動を指導したのは、不気味ささえただよう愚行であると思えてならない」と語っている。


 金成柱ら東洋人だけで組織した第八十八特別旅団を急ぎ編成し、金成柱を金日成に仕立て祭り上げ、北政権の首領にしたのは、ソ連のスターリンであった。


 もしスターリンのソ連軍が前面に出て北朝鮮という国を作り支配すれば、国連のみか世界中の市民がソ連を糾弾する。だから朝鮮人を北朝鮮の首領にする必要があった。
 だが、ソ連が金成柱を利用し、米国も利用されるふりをした。

 ヤルタ会談の密約通り日本に宣戦布告し、1945年8月9日に満州国境を超えたソ連軍は、日本の北方領土を占領して併合した。一方で韓半島以北も完全占領したが、ソ連は朝鮮を併合する名目が無かった。
 抗日闘争の英雄・金日成将軍になり済ました金成柱を北朝鮮の指導者に祭り上げたのは、朝鮮人を無条件で服従させ、北朝鮮を東側共産圏の盟主ソ連と中国の属国にし、韓国と日本に侵攻させるためであった。


 「金成柱を伝説英雄金日成将軍だと公認した各国政府の過ち」が、北朝鮮問題の解決を阻止した根幹の「過ち」であった。


 この「あやまち」が北朝鮮の人々を洗脳し、武器を持たせ、6.25南侵を実行させ、数百万人の人々を死地に追いやった。そして数々のテロ、拉致と粛清、洗脳と包摂という先軍恐怖政治を実行させ、遂に核兵器を開発保持させ、さらに最終兵器のEMP爆弾まで開発させた。
 

 話を戻すが、スターリンの密命を受けたソ連の特別宣伝部長メクレルは、ソ連の傀儡政権指導者にすえる朝鮮人を必死で探した。しかし、面接した朝鮮の有力者は全員、「ソ連の信託統治」に反対し、ソ連の傀儡首領になることを拒否した。
 スターリンとメクレルに忠誠を誓った売国奴の朝鮮人は、朝鮮系ソ連軍人の若い野心家の金成柱だけであった。
 

 金成柱を金日成将軍に祭り上げ、本来、韓半島には存在しなかった北朝鮮という国の政府(北政権)の首領に仕立てた現場責任者はスターリンの忠臣メクレルであった。
 メクレルは「私は常に彼と一緒に行動した。彼は私の命令通り動いた。彼は私を満足させた」と証言している。メクレルが金成柱を選抜した最大の要件は、金成柱が「金日成将軍に偽装する大嘘を平気で語れる恐るべき詐欺師」だったからだと私はみている。。
 

  ちなみに金正日が生まれたのも、朝鮮の白頭山ではなく、ソ連のハバロフスク郊外であった。金正日は、父・金成柱と妻の金貞淑(のち正淑)の長男として1942年2月16日に、ソ連で生まれた朝鮮系ソ連人のユーラであった。
 金正日は北朝鮮入国後も、十代後半まで家でも学校でも、何処でも、朝鮮系ソ連人名のユーラと名乗っていた。世襲後継者になるために、伝説英雄金日成将軍の息子に成りすますために、十代後半からソ連人名のユーラを金正日に改名した。
 「朝鮮白頭山で生まれた伝説の英雄金日成将軍の血統を継ぐ金正日将軍様は、偉大な指導者」という「金日成民族」「金正日民族」を謳う「英雄伝説」も、捏造された偽装と虚言の大嘘であった。
 
 
 金正日は、ソ連占領軍の軍人・金成柱の息子であり、詐欺師の血統を継ぐ売国奴であった。歴史の歪曲捏造犯罪であるが金成柱とユーラは朝鮮人だけでなく、世界中の人々まで騙した人類最悪の詐欺師だった。
 

3。朝鮮建国神話の大嘘


 金成柱の上官であったソ連軍のイワーノフは「彼(金日成主席)は、朝鮮の解放どころか、ソ連軍の朝鮮侵攻作戦にも参加していない。実績のない彼は、作戦に参加させなかった」と証言している。

 またイワーノフは「解放前の朝鮮には朝鮮人民軍は存在しなかった」と証言しているが朝鮮人民軍は1948年2月8日に創軍された。だが金成柱は朝鮮人民軍の創軍日を1932年4月25日に改ざんした。
 
 
 「朝鮮で抗日闘争を展開し、朝鮮人民軍の司令官として、朝鮮を解放した」という、金成柱が主張した「朝鮮建国神話」は、すべて偽装と虚言で捏造されたプロパガンダ宣伝であった。白頭山密営聖地施設は「詐欺犯罪を正当化する」ために建設させた「偽装と虚言の施設」であった。


 日本と韓国・在日の常識は、まったく通用しまない。常識では考えられない嘘・嘘・嘘でつくられた北軍政の秘密を守る術は、鎖国政策を強固にし、韓国と日本を占領する以外に術がない。北朝鮮人の二人に一人を死なせた殺戮魔の世襲独裁者には、残された延命手段は、盲目服従しかないのである。だから国家予算の殆どを工作費と軍拡費に浪費するのである。


4。極東アジア共産化策謀


 当時、全世界の共産党は「一国一党主義の原則により、一国家の共産党は一党だけ」でした。日本では、在日コリアンも中国人も諸外国の共産主義者も全員、日本共産党員として「日本の共産主義革命武装闘争」に狂奔していました。
 世界中の共産党を束ねる盟主は、ソ連のスターリンであり、スターリンと毛沢東に率いられた日本共産党には軍事委員会が存在していました。
 現実に戦後、金日成将軍を崇拝する日本共産党員の在日と日本人が、日本全国で激しい共産主義革命武装闘争を展開していました。詳細は「拉致と朝鮮総連(北政権と親北左翼の犯罪)」に記載。
 朝鮮語も日本語も堪能だったというメクレルは、金成柱だけでなく、日共の首脳にもスターリンの極秘指令を伝達していたと思われます。

 ところで日本全国で激しい武装闘争を展開していた日本共産党の武装戦闘要員らは、漁船を改造した人民艦隊の工作船で日朝間を往来していました。日本人拉致船でもあった人民艦隊の工作船で極秘訪朝していた日本共産党員らは、厳しい訓練と極秘指令を受けていました。この共産党工作員の中には「祖国戦線の中央委員だった韓徳銖(朝鮮総連終身議長)もいたという。
 

 スターリンが極秘裏に編成したソ連の極東軍第八十八特別旅団は、極東アジア共産化侵略軍であり、ソ連の秘密情報機関の役割も果たしていたというが、要員もソ朝鮮人と中国人だけでなく、日本人と在日コリアンも加わっていたのではと推測しています。
 北政権の拉致目的と手口、北送拉致の実態、そして在日と韓国、日本の共産主義革命組織と闘争の詳細は「拉致と朝鮮総連」に綴りましたので、ご参照ください。


5。祖国戦線の秘話。
 
 ソ連諜報機関のメクレルの命令通り行動した金成柱もソ連の情報機関員だといえます。北朝鮮政府(北政権)樹立以前に極東アジア共産化目的で設置された「祖国統一民主主義戦線」は、朝鮮系ソ連軍人と韓国と日本の共産主義秘密工作員らで構成された東側共産圏の秘密組織でした。この「祖国戦線」の指導者はメクレルが操る金成柱でした。朝鮮総連の終身議長・韓徳銖は、「祖国戦線」の中央委員でした。「祖国戦線」の目的は「韓半島と日本の共産化占領」だと私は解釈しています。


 なぜ北政権は拉致を実行し、生物兵器・化学兵器・核兵器とミサイルを開発配備したのか。そして今、小型核弾頭と最終兵器のEMP爆弾まで開発している目的は、極東アジアの占領支配、すなわち「金正日世襲ファミリー王朝の唯一の延命策・2012年強盛大国実現」でした。だが、この野望は金正日の死によって霧散すると思っています。


 スターリンの目論見どおり、メクレルが操る金成柱は韓半島以北の朝鮮人を拉致して粛清し、洗脳して包摂する先軍恐怖政治を北朝鮮で実行しました。
 北朝鮮の悲劇を発生させた主犯は、闇に潜み、金成柱を操っていたソ連のスターリンです。スターリンの死後は、中国の毛沢東です。
 実行犯は、ソ連占領軍と金成柱です。この後継者は、金正日と金正恩です。
 金正日は、なぜ三男の金正恩を後継者に指名したのか。
 それは金成柱と金正日の凶暴な性格に最も似ていたのが金正恩だったからです。
 
 
5。金成柱と金正日が大衆の前に姿を見せない秘話。
 
 ところで、金成柱とユーラが、群衆の前に姿を出さないのは、暗殺されることを恐れているからです。北朝鮮の人民を騙し、北朝鮮の豊富な地下資源の採掘権を中国とソ連に献上し、そして北朝鮮の経済を破綻させ、農業を疲弊させ、アジア最貧国に没落させ、人々を餓死させ、脱北させても、軍拡と核兵器開発に狂奔してきた犯罪を最も知り尽くしているのは、金成柱とユーラ(金正日)自身だからです。
 

 1945年10月14日に「ソ連軍歓迎平壌民衆大会」が、北の平壌公設運動場で開催されました。この大会は、メクレルが計画したソ連の傀儡政府・金成柱北政権を作る「手始めの行事」でした。ソ連の国旗と当時の朝鮮国旗であった太極旗(今の北朝鮮国旗は、当時はなかった)を掲げた壇上にソ連占領軍司令官チスチャコフ大将と、レベジェフ政治委員、ロマネンコ軍政司令官と、メクレルの命令通り、伝説の英雄・金日成将軍に成り済ました金成柱が肩を並べて登壇していました。

 ところが、民衆大会の壇上にいる金成柱が演説する時になると、会場がざわめき始めました。会場が騒然とした雰囲気になりました。「金日成将軍様が、あんな若造であるはずがない! あの金日成将軍は偽者だ! 偽者だ!」という怒りの声と罵声が、会場から飛びだしたのです。
 集まった群衆は、壇上の金日成が偽者であることを一目で見破ったのです。


 人々の声は、偽者に対する糾弾の声に変わり、「ソ連軍歓迎平壌民衆大会」の会場は、パニックになりました。金成柱は「金日成の偽者である」ことを見破られた恐怖で、顔面が真っ青、蒼白になり立ちすくんでいました。この時、群衆の声を抑え、群集を鎮圧したのは、ソ連軍の威嚇射撃でした。
 金成柱を擁護したのは、ソ連占領軍だけだったのです。
 北朝鮮の人々は、誰も金成柱を助けなかったのです。
 

 金成柱は、この「ソ連軍歓迎平壌民衆大会」も、後に「金日成歓迎平壌民衆大会」に改ざんしました。内容も金日成歓迎一色に歪曲捏造し、偽者糾弾一色であった事実を完全に隠蔽しました。
 ですが金成柱は、その後、集会に出ることを極端にためらいました。
 しかし、解放後に初開催される「三・一朝鮮独立運動記念大会」に出席しなければ、もし欠席すれば、自ら偽者であることを告白することになります。
 だから半年後の1946年3月1日の朝鮮の独立運動記念日の壇上に、金成柱は不安を抑え、怯えながら立っていました。

 しかし、不安は見事に的中しました。群衆の罵声よりも、もっと恐ろしい事件が起きたのです。金成柱に向けて、手榴弾が投げられたのです。警備に着いていたソ連軍人が、手榴弾を拾い上げ投げ返そうとした時、手榴弾は炸裂しました。
 手榴弾を拾い上げたソ連軍人の右腕は、無残に吹き飛びました。


 手榴弾は寸前のところで、金成柱に届かなかったのです。この手榴弾を投げたのは、政治結社「白衣社」の北朝鮮の青年三人でした。その場で逮捕され、シベリア鉄道の貨物列車に乗せられ、ソ連に移送されましたが、移送の途中で脱出に成功し、日本に逃れ、在日コリアンになりました。
 その中の一人の方が他界されました。私も葬儀に参列し、ご冥福をお祈り申し上げましたが、この先生の名前や素性はご遺族と関係者のご意向で非公開とさせていただいております。しかし、大先輩の意志を尊重して、当時の真相を公開させて頂きました。


 金成柱が群衆の前に出ない理由は、群衆に偽者だと見破られた恐怖と、何より、群衆から手榴弾を投げられた恐怖のトラウマに苛まれていたからです。
 二度の事件に懲りた金成柱は、虚構と虚飾、偽装と虚言だけでは、金日成に成りすませないと悟り、反抗する者、反発する者全員を抹殺することを決意したのです。
 そして、スターリンから伝授された拉致と粛清と洗脳包摂の恐怖政治を、北朝鮮で実行したのです


6。北軍政の粛清秘話。

 当時の拉致と粛清、そして目的を見極める一例があります。
 当時、ソ連軍の強大な武力の後押しを受けた金成柱も、最初は北朝鮮人民の支持を得ることは不可能でした。そこで北朝鮮民衆から圧倒的な支持を集め、大きな影響力を持っていだ晩植先生の協力を得ようと策を講じました。
 1945年9月30日夕刻、平壌の料亭「花房」に゙晩植先生を招待し、金成柱は平身低頭して「゙晩植先生、私にお力をお貸し下さい」と哀願したと、関係者からお聞きしました。
 しかじ晩植先生は、北朝鮮人民の願いである朝鮮の独立と建国(新政府樹立)を固く決意し、ソ連軍の北朝鮮占領を頑なに反対していたことから、ソ連軍と金成柱の懇請を拒否したといわれています。


 メクレルが証言していましたが、最初に北朝鮮の指導者にすえようとしたのは、北朝鮮の人々が支持していだ晩植先生でした。しかし、゙晩植先生は、ソ連の植民地政策に反対していたことから極秘裏に拉致され、処刑されました。当時、ソ連の信託統治に賛成したのは、朝鮮系ソ連軍人と、中国系ソ連軍人、そして共産主義者だけでした。絶対大多数の北朝鮮の有力者・知識人や人民は、ソ連の信託統治に反対していました。


 参考に、当時の状況を少しお話します。
 1945年10月20日、金成柱はソ連共産党の北朝鮮分局といえる「朝鮮共産党北朝鮮分局」を結成しました。これに対しで晩植先生は、11月3日に「民族の独立、南北の統一、民主主義の確立」の三大綱領を定め、掲げた「朝鮮民主党」を結成しました。
 「朝鮮民主党」は北朝鮮民衆の熱狂的な支持を受け、僅か一ヵ月間に党員は50万人を超える勢いでした。


 事態を重く見たスターリンは、翌12月27日、米英両国とモスクワで三国外相会議を行い、のち「モスクワ協定」に調印しました。「モスクワ協定」は、米国・英国・ソ連・中国の四ヵ国による、五年以内の朝鮮半島信託統治を謳っていました。公の目的は、朝鮮の南北分割統治でした。しかし、真相は、米ソによる朝鮮の分割植民地化協定でした。
 この「モスクワ協定」の信託統治に「朝鮮民主党」は絶対反対の立場を表明しました。
 そして、゙晩植党首は先頭に立ち、北朝鮮の人民たちとともに信託統治反対闘争を展開したのです。北朝鮮の有力者と人民は、ソ連軍と金成柱の植民地政策に反対し、抗議行動を起こしたのです。


 一方、金成柱を責任秘書とする朝鮮共産党北朝鮮分局は、翌年の1月2日、「モスクワ協定」によるソ連の信託統治を支持すると表明しました。金成柱は、北朝鮮全人民の意思に逆行し、ソ連の朝鮮統治を支持した売国奴でした。金成柱は、正に朝鮮民族の反逆者であり、国賊であり、紛れもないソ連侵略軍人でした。


 そして1月5日、ソ連占領軍と金成柱は、「朝鮮民主党」を殲滅するために゙晩植党首を拉致して平壌刑務所に拘禁し、ソ連の信託統治に反対する勢力を悉く拉致して粛清したのです。北朝鮮人民が支持していた「朝鮮民主党」の゙晩植党首を拉致するということは、北朝鮮人民を拉致する犯罪であり、表現の自由と人権を剥奪する蛮行であり、暴挙であると、私は解釈しております。


 ゙晩植党首は、1950年6月25日以前に粛清(銃殺)されていたと韓国の「中央日報」が調査結果を1992年に報道していましたが、当時、62歳の゙晩植先生は拉致され、拷問された挙句、残虐に銃殺されたのです。しかも支持者の有力者と人民たちも問答無用で拉致され投獄され、秘密裏に粛清されていました。
 金成柱は、「ソ連の植民地政策に反発する朝鮮人」を問答無用で拉致して、処刑した目的は、北朝鮮を占領支配して私利私欲を貪るためでした。金成柱と金正日の豪遊ぶりは、世界の如何なる大富豪も追随出来ないことは既に知られています。拉致は北朝鮮占領のためであり、再侵略戦争工作であり、北政権首領の常識では想像もできない果てしない欲を満たすためだったのです。


 北朝鮮全土に吹き荒れた反動分子のマグチャビ(根こそぎ)粛清の恐怖政治を恐れた約五百万人の北朝鮮の人々が、命がけで国外に避難しました。多くが避難の途中で逮捕され、無残に銃殺されました。一説では、非難の過程で殺害された犠牲者は、約五十万人と云われています。
 厳しい監視統制で避難できず、北朝鮮収容所半島に監禁された人々は、生き延びるために口を硬く閉ざし、家族を守るため、仕方なく金成柱に従いました。
 洗脳・包摂され、国外に脱出できない北の人民たちは、北朝鮮半島収容所に監禁され、拉致犠牲者になりました。
 この拉致の真相を知らず、語らず、拉致問題の解決を叫ぶ者は偽善者だといえます。
 金成柱は、拉致と粛清と洗脳包摂工作を北朝鮮で、激しく実行した殺戮魔でした。
 

7。6.25南侵の秘話。

 
 南侵決行の為、韓国政府と国民を油断させた教訓もお話したいと思います。
 金成柱は、拉致して処刑した「゙晩植党首は生きている」と韓国政府に告げ、、韓国側に逮捕され、死刑判決を受けていた南朝鮮労働党(南労党)の上位二人、金三龍と李舟河との交換を提案しました。
 韓国側の了解を取り付け、捕虜交換日を1950年6月26日に定めました。
 
 また、それ以前の六月初旬、ソ連の軍事顧問団と朝鮮労働党は「祖国統一民主主義戦線」を通して、何と「平和統一議案の議決文」を韓国側に提案していたのです。
 韓国政府と国民、韓国軍は、北側の平和統一提案と捕虜交換の和解姿勢を信じて、「もはや絶対に北の南侵はない」と信じて、軍人に農繁期休暇を出すなど、完全に油断したのです。
 
 その結果、ソ連の傀儡北政権軍は、捕虜交換日の6月26日の前日、25日未明に三八度線を突破し、韓国への侵略戦争を実行したのです。
 ソ連軍と金成柱は、大嘘の平和外交で、見事に韓国政府と韓国軍を騙し、油断させ、無防備の韓国に、ソ連軍の最新兵器で武装し、ソ連軍の訓練を受けた軍隊を、突然侵攻させたのです。北政権にとって、偽装と虚言、歪曲と捏造は目的達成の作戦だったのです。
  
 北政権に騙され、油断し、全く無防備だった韓国軍は総崩れになりました。
 もし連合国の仁川上陸作戦が無かったなら、韓国の国名は、消滅していました。
 そして、北政権軍は、日本侵攻作戦も実行していました。
 韓国と日本を救ったのは、連合国であり、米国であったことは、紛れもない事実です。

 北政権は、国家間の交渉でも、考えられない偽装と虚言の「大嘘」を平気で吐いていたのです。「平和と対話」を提案し、相手を油断させ、ある日突然、侵略者の牙をむき出し侵略戦争を決行した殺戮魔の戦争犯罪史を、歴史の教訓を、決して忘却してはならないと申し上げます。
 
 
 スターリンの死後、金成柱の黒幕になった中国の毛沢東は、北朝鮮を中国の属国にしました。北朝鮮の貴重な地下資源の採掘権は、中国とロシアが手に入れました。
 朝鮮(韓)民族の聖地である白頭山の尊い観光資源は、毛沢東が手に入れました。
 某北朝鮮問題の識者は「今の北朝鮮は事実上、中国の一州だ」と語っていました。
 中国と現ロシア政府は、傀儡の北朝鮮占領軍の北政権金正日ファミリーを自国に撤退させ、北朝鮮の国権を北朝鮮人民に返還すべきだと、私は訴えます。
 

8。金正日ファミリーを追放する秘策。

 しかし、「北政権を北朝鮮から追放する」ことが、可能でしょうか。答えは、「可能」です。1945年12月27日に、ソ連・中国・米国・英国の四ヵ国が調印した「モスクワ協定」による韓半島の信託統治は、五年以内に撤退する期日限定の信託統治でした。
 ソ連の韓半島北半部信託統治権は、五年間だけでした。
 信託統治国と傀儡北政権軍の、北朝鮮信託統治権は六十年前に、既に消滅していたのです。本来なら六十年前にソ連の信託統治軍の北政権は韓半島から撤退しなければならなかったのです。
  

 大国の策謀で拒否され、隠蔽され、忘却されてきましたが、1947年11月14日の国連総会で韓半島の南北統一案が、可決されていたのです。
 この南北統一案は、信託統治国の期限内の撤退を認知し、1948年3月までに南北の総選挙を実施し、南北の統一政府を樹立し、信託統治国の軍隊は、韓半島から撤退し、南北朝鮮の自主独立(祖国統一)を承認するという、画期的な内容でした。
 

 仮に国連が可決した南北平和統一案が、1948年に実現していたなら北朝鮮という国は、存在していませんでした。拉致犠牲者は全員、解放されていました。
 6・25南侵も、発生しなかった。数百万人の南北市民は、死なずに済んだ。
 南北離散家族の悲劇も発生しませんでした。
 韓国・日本・諸外国の市民と在日の拉致犠牲者も、発生しなかった。
 北の核開発と核戦争の不安も、発生しなかった。
 北朝鮮と韓国と日本が、対立することもなかった。
 在日が差別されることもなかった。
 日本と南北朝鮮は、不幸な過去を乗り越え、本来の一衣帯水の友邦国となり、世界平和に貢献する責務を担っていました。北東アジアの市民は、豊かな生活、幸福な生活を営んでいました。


 ではなぜ、国連の南北統一案が実行されなかったのか。
 それは、ソ連と金成柱が、国連の南北統一案を、事実上、拒否したからです。
 金成柱は、南北統一案を実行する国連の朝鮮臨時委員会の北朝鮮入国を拒否したからです。韓半島の平和統一を拒否したのは、ソ連のスターリンの傀儡の金成柱(故金日成主席)でした。そして、東西の大国が金成柱の正体と犯罪を北朝鮮公民に公開しなかったからです。人権を侵害する金成柱の金日成将軍成り済まし犯罪を無罪放免にした公認したからです。北朝鮮公民の人権侵害を見て見ぬふりをし、北朝鮮公民を蔑視差別・無視してきたからです。
 国連の南北統一案を隠蔽して、忘却させたからです。
 しかも、加害者を支援する対北政権支援を実行してきたからです。
 その報いが現在の最終戦争前夜の危機を造成したのであります。


 また金成柱が南侵を決行したのは、1950年までに撤退しなければならなかったからです。南北全土を占領することで、不法占拠の罪から逃れるためでした。
 金成柱ファミリーの罪と野望は、二代から三代に継承されました。
 分断された韓半島の南北は、今も休戦状態であり、いつ戦争が勃発しても不思議ではないのです。
 現在の再南侵ぼっ発時の兵器は、核兵器とEMP爆弾であることに気づくべきです。


 2009年4月5日、北政権は長距離弾道ミサイルを発射しました。
 加えて、朝鮮総連の結成記念日の5月25日には、核実験を強行しました。
 1990年代から、戦闘機の離発着のみか、生物兵器・化学兵器・核兵器を搭載した核ミサイルの発射が可能な、超巨大な地下核シェルター基地を北朝鮮全土の要所に建設していました。そして、2010年には、東倉里に巨大な核ミサイル発射基地が完成しました。韓国の天安艦撃沈と延坪島砲撃は、金正恩が指揮していました。
 金正日の死後、金正恩は金正日の遺言を実行するのか。無視するのか。
 

 韓半島の主権者である韓国民と海外同胞は、「同族として、北朝鮮の公民を支援する責任と権利」を有しています。
 国連の南北統一案可決精神は、南北朝鮮は本来、一国家、一民族、一領土であり、主権者は朝鮮の人民であることを世界各国が認知した故の裁定だったのです。

 南北を分断した「モスクワ協定」の調印国であるソ連・中国・米国・英国の四ヵ国は、率先して南北の平和統一を実現し、傀儡の北政権に撤退命令を宣告する責務があります。


 そして国連は、速やかに北政権の北朝鮮撤退決議案を再度、立案・審議・可決すべきであります。 
 南北の平和統一が実現しなければ、最悪の惨劇が引き起こされるでしよう。
 この現実を考慮すれば、国連加盟国は圧倒的多数で南北の統一に賛成し、可決すると確信します。
 今度の南北統一案には、中国とロシアも拒否権を行使できないでしよう。
 いや、もはや大国の理不尽な拒否権行使は、断じて赦されません。
 
 
 ドイツを分断したベルリンの壁は、東西ドイツの市民と若者の行動で二十世紀末に除去されました。ロシア・ゴルバチョフ大統領のペレストロイカという民意を尊重する政策が、大きな影響を及ぼしましたが、市民の行動なくして、ベルリンの壁を除去することは不可能でした。北朝鮮問題の解決も、市民の行動に委ねられています。

 東西冷戦の悲劇、板門店の壁を消滅させる平和の光(ピースライト)を放つのは、誰か。それは、未来の歴史に刻まれているでありましよう。
   

 過去とは異なり米国もロシアと中国も、核兵器を保持した対北政策の見直しを迫られています。千載一遇の韓半島自由平和統一の機会が訪れています。
 韓半島の自由平和統一が実現すれば、拉致犠牲者全員の各国自由往来が実現します。自由往来が実現すれば、拉致犠牲者全員の救出が自動的に実現します。
 韓半島に平和が訪れた時には、北東アジアの非核化が実現します。
 国連決議の南北平和統一案こそ、誰人も、如何なる大国も、拒否出来ない平和的な解決策です。拉致犠牲者である北朝鮮公民の解放実現こそ、北朝鮮問題の解決策でした。

 
          在日コリア問題研究所 理事長 鄭龍男 2010.11.14