戦後(1945年~1974年まで)の在日左翼組織略史と在日韓国青年会結成の逸話
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○一九四五年、秋夕(旧暦お盆)前日の九月十九日、金日成将軍に偽装した金成柱が北朝鮮元山港に上陸し、北朝鮮の悲劇が発生した。
○一九四五年、十月、日本共産党幹部と在日共産主義者の金天海が、府中刑務所から出獄。同年に「朝連」結成された。
○一九四六年、二月十五日、韓国で「朝鮮民主主義戦線」結成。七月二十二日、北朝鮮で「北朝鮮民主主義民族統一戦線」結成。
 
一九四六年、十月、旧在日本朝鮮居留民団結成。(後に民団朴烈初代団長は韓国滞在中、北の工作員に拉致され北送された)
一九四八年、八月に大韓民国政府樹立。同年九月、北政権(朝鮮民主主義人民共和国政府)樹立
一九四九年、六月二十五日から二十八日まで、北政権の核心秘密組織「祖国統一民主主義戦線」の会議ー平壌で開催。
一九五〇年、六月二十五日、ソ連製最新兵器で武装したソ連の傀儡・朝鮮人民軍が三八度線を突破し、韓国に侵攻。
一九五一年、一月、「在日朝鮮統一民主戦線」(民戦)結成。当時の日本共産党武装組織と在日左翼武装組織の「民戦」「祖防委」
      「祖防隊」などは、「日本民主革命達成」と北政権の韓国侵略に共闘する暴力テロ闘争を実行
一九五三年、七月、朝鮮戦争休戦協定調印。(ソ連スターリン死亡により、中国毛沢東が北朝鮮の支配者になった)

        「ソ連・中国の支配」に反対し、「南北の自主的平和統一」を訴えた北朝鮮の有力者と支持者を拉致・粛清。
一九五三年~南労党派の朴憲永(副首相兼外相)、李承燁(司法相兼党秘書)、李英(最高人民会議議長)ほか粛清。
       ソ連派の許可諠(党副委員長兼副首相)、朴昌玉(党副委員長)、南日(軍総参謀長兼副首相)ほか粛清。
       国内派の朱寧河(党副委員長)、呉基燮(労働局長)、張時雨(商業相)、権五稷(中国大使)ほか粛清
一九五六年~延安派の朴一禹(内務相)、金奉(最高人民委員会委員長)、金昌満(党副委員長)ほか粛清。
一九六九年~パルチザン派の金策(副首相)、金光(民族保衛相兼参謀長)、石山(社会安全相)ほか粛清。
       南侵に失敗した金成柱は、邪魔な党や政府要職者・約二千五百名と、その家族・親族と支持者たち人民も悉く粛清。
       
「拉致・粛清・包摂(洗脳)」の恐怖政治で権力を維持。
       金成柱は、北朝鮮住民の「出身成分」を徹底的に調査して三つの階層、五十一の「成分」に分類。さらに「五戸担当制」
      を敷き、厳しい『住民相互の監視体制』を構築。反動分子の疑いがあるだけで深夜の寝込みを襲い、本人のみか家族全員
       を拉致・粛清した。反動分子を監禁・粛清する収容所まで建設していた。

       金成柱の実弟である金英柱を責任者とする『七千人の特殊任務(拉致・粛清)部隊』を編成、反発する人民を拉致・粛清。
       北朝鮮全土で吹き荒れた「粛清の嵐」から逃れるため約五百万人が脱北し、一千万離散家族の悲劇が発生したという。
       「拉致・粛清・包摂(洗脳)」の恐怖政治は、ソ連と中国の傀儡・金成柱ファミリー政権の唯一の延命策であった
       恐怖政治の「拉致、粛清、包摂」の人民監視体制は、在日の北送が実行される一九五九年の半ばまでに構築されていた。
       
「北朝鮮は、地上の楽園」などと宣伝した朝鮮総連と日本の親北マスコミの報道は、すべて「大うそ」だった。
       北政権が公約した「在日の豊かな生活」とは、先軍・恐怖政治の「拉致・粛清・包摂」の人民監視体制の構築であった。

一九五五年、五月二十五日、朝鮮総連設立。在日コリアンの北送を計画、水面下で日本政府と協議・推進。

一九五九年、二月二十五日、民団が「北送反対闘争委員会」結成。
       八月十三日、日朝赤十字社(政府)が帰還協定締結。朝鮮総連は即刻、「在日の財産収奪計画」を実行。
       十二月十四日、在日975人を乗せた北送船(第一次船)が新潟から出港し、韓徳銖が練り上げた「金成柱を金日成将軍に
       仕立てあげる陰謀」日朝政府に拠る政治ショーが開幕した。

       スターリンの忠臣(ソ連極東軍第八十八特別旅団第一大隊の大尉)金成柱を「金日成将軍に偽装させる策謀・「在日の北送拉致」

       を成功させた犯罪が、「日本人拉致を発生させ、核兵器を開発させる」犯罪に拡大した
       北送船で日本に大量上陸した北の工作員が、韓国と民団に潜入し、テロ工作を実行したのである

         帰国者は、北朝鮮で拉致され人質になり、日本に残った在日は北政権に盲目追随しなければならない奴隷になっていた。
一九六〇年、在日親北左翼は、秘密組織「民団正常化有志懇談会」を結成し、民団破壊工作を開始。
       関東地区責任者に郭東儀、関西地区責任者に金容元を配置。
       日本全国の温泉地等で工作員養成の「密封教育」と「研修教育」を実施。この密封教育とは洗脳・包摂工作であった。
一九六〇年代から七〇年代は、郭東儀、裵東湖らが民団組織に直接潜入し、暗躍していた時代であった。
一九六一年、北政権は労働党第4期5次大会において「対南武力革命戦略」を決議。
一九六二年、民団中央本部は、北の赤化統一路線に追従する郭東儀・大韓青年会(韓青)委員長を停権処分にした。

一九六八年、一月二十一日には、韓国軍人に偽装した北朝鮮武装ゲリラ三十一人が、朴正煕大統領ら韓国要人暗殺を企図して、大統領
       官邸(青瓦台)から数百㍍の路上で民間人五人と警察官一人を射殺。韓国当局により武装ゲリラ三十一人のうち三十人が
       射殺され、一人が逮捕されるテロ事件が発生。本事件は朝鮮人民軍偵察局による犯行とみられている。

一九七一年、在日親北左翼は、五月に『民団有志懇談会』加担者を中心に『民団自主守護委員会』を組織。
       来日した金大中(後の韓国大統領)が在日左翼と秘密裏に接触。
       韓国では、多くの在日韓国留学生が北朝鮮のスパイ容疑で逮捕される。

      在日親北左翼武装集団が、民団東京本部を襲撃。
一九七二年、在日親北左翼が八月に『民族統一協議会』を組織
       在日親北左翼武装集団が民団中央本部を襲撃(四月十八日・午後四時)、占拠事件発生。
       十月十七日、韓国全土に非常戒厳令が宣布
一九七三年、五月に民団中央監察委員会は、郭東儀ら多数の親北左翼の除名処分を発表。
       八月には在日親北左翼による『金大中救出委員会』を組織。
       八月十五日に『韓国民主回復統一促進国民会議』(韓民統)が結成されたが、何と初代議長に金大中が選出された

       在日反韓団体の核心組織「韓民統」は、民団組織の①在日韓国青年同盟、②在日韓国学生同盟、③民団東京本部、④大韓
       婦人会東京本部、⑤民団神奈川県本部、⑥金大中救出委員会、⑦民団自主守護委員会、⑧民団統一協議会の八つもの公式
       組織を糾合していた。この八団体以外にも全国の民団組織にスパイを送り込み、韓国の政権打倒と民団破壊活動、金大中   
       救命運動を展開した。この「韓民統」こそ、北政権と朝鮮総連が放った韓国と民団を包摂する最精鋭工作部隊であった。

一九七四年、六月に金正日が朝鮮総連に「祖国統一分工事業」を指令。朝銀信用組合には献金を命令。
       ※数十万人の会員を擁していた朝鮮総連の「活動家一人が五人を包摂」という「拉致と包摂」の指令。
       北政権は、「祖国統一民主主義戦線」結成日を一九四六年七月二十二日「北朝鮮民主主義民族統一戦線」結成日に変更。
なぜ一九七四年に「祖国戦線」結成日を変更したのか。真の祖国戦線結成日はいつか。祖国戦線の正体と目的は…。
民団は、「韓青」の傘下団体認定を取り消し、新たな「在日韓国青年会」を地方から結成させた。


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