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一九四五年からソ連の植民地になった北朝鮮国内で拉致と粛清が実行され始めた。
そのため多くの人民が脱北し韓国や中国に渡った。
一九四六年から韓国人も拉致北送され始め多くが粛清されたという。
一九五九年から在日と日本人家族が北送された当初だけでも約半数が粛清されたという。
拉致犠牲者は北朝鮮人民、韓国、日本、諸外国の市民と在日であった、
だが韓国政府も日本政府も未だに全貌を把握できていない。
また把握した情報も確認困難なため公開できないようでもある。
北朝鮮に着いて「日本に帰りたい」と北政権当局に訴えた北送在日の約半数が収容所に
送られ残虐な手法で処刑されたという。
虐殺の恐怖と凍土の冷酷さに閉口した在日は悲しみと恨みを堪え《声なき声》で日本に
いる私達に救済を求めてきた。
在日を知る複数の脱北者が語っていた。
不満を云ったチェポたちは監獄に入れられた。
そして消息不明になった。彼らは収容所で病死か自殺か処刑され死んだと思う。
とにかく帰国者たちの多くが話にならないほど逮捕(拉致)され監獄に入れられた。
資本主義社会で生活していたチェポが自由のない北朝鮮で生活することは無理だ。
ある乞食生活をしていたチェポは日本から送ってきたお金と物資でカレーライスや
コロッケなど日本の食べ物食堂を始めて金持ちになった。
そのチェポの父親が従業員とセックスビデオを見たということで逮捕拉致された。
従業員の一人が告発したそうだ。この従業員は秘密情報員だと思う。
当局がチェポの財産を搾取する工作だと思う。
北当局者による計画的な財産搾取工作だ。
裕福なチェポたちは利用価値が無くなれば、でっち上げの罪である日突然、逮捕される。
監獄で拷問された挙句、残酷に虐殺される。
財産は全て当局者に没収される。当局者たちの懐に入る仕組みになっている。
北当局者の不正腐敗は悪質な暴力団より酷い。
若者や働ける中年世代で病気で死んだとかアルコールを飲みすぎて死んだとか消息不明
や行方不明者は間違いなく殆どが処刑された人たちだ。
精神病院に入れられたというのは公然と声を出して反発した者たちだ。
精神病院で本当の精神異常者に改造された後に収容所送りになり粛清される。
現実に不満を言って逮捕され監獄に入れられたチェポをたくさん知っている。
チェポたちは保安署、保衛部、党機関の三重監視という当局の差別政策で不便を受けて
いる。元山にチェポが最も多く住んでいる。
一九九三年〜一九九四年頃に金正日がチェポ達の不法行為を厳重に処分するよう指示
した。大々的な検閲捜査が行われた。
私は在日の約四十名が公開銃殺されるのを目撃した。
私は死刑判決を受けたチェポが公開処刑される現場を三度目撃した。
在日の人たちは北にいるチェポたちの人権侵害問題を情報公開すべきた。
なぜ在日は行動しないのか。なぜ何も言わないのか。
なぜ情報公開しないのか。理解できない。
なぜ在日はチェポを見捨てたのか。忘れたのか。
第十八号収容所にいた脱北者が証言している。
日本に帰りたいと騒いだ者は第十八号収容所に多く収容されていた。
収容所の在日は最低階級に置かれ余りに悲惨であった。殆どが餓死か病死した。
騒いだ在日は見せしめに煮えたぎる油窯の中に生きたまま放り込むという残酷非道な
処刑が一九六十年代に行われていた。口封じの見せしめの粛清だった。
皆、恐れて震えあがり何も言わなくなった。これが粛清の目的だ。誰も逆らえない。
公開処刑は九〇年代に金正日総書記の特別指示で全国的に行われた。
公開処刑は住民らを集めた中で行われ、家族が見ている中で行われることもある。
これは見せしめの処刑である。
中には満席の競技場で公開処刑をすることもある。
最近は公開処刑の代わりに国家安全部の地下刑務所等で拷問と秘密処刑が増加している、
と語っていた。
今真剣に考えなければならないことは拉致犠牲者を一日も早く救済することである。
新聞報道によれば「地上の楽園」というプロパガンダがなされた帰還(帰国)事業で
北朝鮮に渡り強制収容所等で肉体的、精神的苦痛を受けたとして北朝鮮から脱北した
大阪府に在住する韓国籍の高政美さん(47)=日本名・千葉優美子=が二〇〇八年
六月十三日、北朝鮮への帰還事業を支援した朝鮮総連を相手取り慰謝料等約1100
万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
日本国内在住の脱北者が北朝鮮帰還事業をめぐって提訴するのは初めてである。
北者を支援する「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(三浦小太郎代表)によると、
日本の国内に在住する脱北者は約170人であり今後も同様の訴訟が検討されている
という。
訴状によると高さんは3歳だった1963年に両親とともに帰還事業で北朝鮮に渡り、
政治的な理由で父や兄が強制収容所に入れられた。
高さん自身も8年前に脱北を試みて失敗し収容所で拷問を受けた。
平成17年7月、2度目の脱北が成功して日本に入国した。
高さんは「朝鮮総連は北朝鮮の実情を隠し『地上の楽園』と謳い高さん家族を誤信させ
た」と主張している。
帰還事業は在日朝鮮人を労働者や人質として利用するためのもので「囚人や奴隷と変わ
らない生活を強いられた。
脱北失敗後は殴る蹴る等の激しい拷問を受けた」という。
ちなみに告発者の高政美さんは一九六三年、三歳の時に家族七人で北朝鮮に渡った。
清津の港に着いた途端、高政美さんの兄が「ここは人間の住むところではない」と言い
だし「無条件で日本に帰してくれ」と訴え帰国船から下船しなかった。
すると当局は高政美さんの兄を無理やり「四十九号病院」という精神病院に隔離した。
数年後に高政美さんは兄を訪ねたが、そこは精神病院ではなく収容所そのものだった。
「建物すべてが鉄柵で覆われ収容者は男女の区別もつかないような姿で大小便もその
まま床に垂れ流しであった。恐ろしい動物園のようで逃げ出した」と。
その数年後、この兄の死亡通知書を家族が受け取った。
母が「兄の骨だけでも取りに行きたい」と願っていた。
だが元朝鮮総連活動家で労働党幹部の父は「もう四十九号病院はない。
解体され、そこにいた人々は政治犯収容所に送られている。
私の立場があるから外で一言でも漏らせば俺たち一家は全員破滅だ」と言っていた。
その父も秘密警察に逮捕され、拷問を受け瀕死の状態で釈放された。
その父親は「自分が北朝鮮に一時間でもいて日本に戻っていたなら北朝鮮に帰ろう等と
絶対に云わなかったはずだ。
日本で組織的に展開された宣伝を真に受けて自分の家族だけでなく、多くの人たちを
説得して北朝鮮に送り込んでしまった。
この罪は一生負っていかなければ…」と悔やんでいたという。
高政美さんから取材した菊池嘉晃記者が読売ウィークリーに記事を掲載していた。
高政美さんの告発に対して朝鮮総連の関係者(工作員)が巷で非難をしている。
「この裁判で高政美は絶対に負ける」
「あの人たちは北朝鮮から逃げてきた人たちだ」
「三歳だった子供が何を言うか」
そして朝鮮総連の常套手段である「あいつらは自分で勝手に行った」という中傷妨害を
広く展開している。
どっこい、この訴訟は韓国で暮らす脱北者たちにも影響を与え始めている。
韓国の市民団体「被拉脱北連帯」の都希侖代表は「結果いかんでは北朝鮮に家族や親戚を
残してきた脱北者らがリスクを承知の上、訴訟を起こす可能性が高い」と見ている。
北送在日拉致犠牲者が脱北し、近年日本に多くが既に入国している。
彼らもいずれ行動を起こす可能性がある。
ここで留意すべきは、脱北者の中に北の工作員が少なからず紛れ込んでいることだ。
また犠牲者救済を唱え動きまわる秘密北工作員もいる。
これら秘密工作員達は独裁国家の走狗という悲しい身であるとはいえ、早晩仮面が剥が
され、厳しい処罰を受けることになるであろう。
チェポ(在日同胞)、キポ(帰国同胞)、
そして世界の拉致犠牲者は差別され虐待されてきた。
私達は命がけの闘いを開始する。拉致犠牲者全員を必ず解放する為に……。
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