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在日北送犠牲者となった脱北難民たちの証言の一部をまとめて綴る。
祖国では差別がなく希望する職場で働け、学費も無料で学びたいことが学べ、平壤に住み、楽しく食卓を囲んで幸せに暮らせる。幸福で豊かな生活が待っている……と、希望に胸を膨らませて着いた北朝鮮だった。
だが目の当たりにした現実を見て金成柱と朝鮮総連の嘘に騙されたことに気付いた。
時既に遅く、多くの在日と日本人家族が自殺、餓死、処刑で無慈悲に命を絶たれた。
朝鮮総連が見せてくれたスライドや画報等の宣伝はすべて大嘘であった。
北送在日は北朝鮮という収容所半島に監禁(拉致)された囚人であり人質であった。
朝鮮総連に騙されたことに気づいた。そして失意のどん底に叩き落とされた。
一緒に送られた在日は家畜の餌である雑穀の酷い食糧の極貧生活と過酷な重労働と栄養失調で下痢、胃潰瘍、急性肝臓炎等の病を患う者が続出した。
やがて自殺、病死、餓死者が出始めた。配給される雑穀の食糧では家族は生きられない。
在日は職場や学校の休日には山に行った。野山の草や木の皮を採り食糧にした。
虫でもネズミでも、食べられるものは、何でも捕って食べた。
日本から持参した服や家財道具等は、全て売って食糧を手に入れた。
当局者から日本の家族に連絡して金や物資を送らせろ、『愛国運動』に協力しろと指示された。
日本の家族にお金や物資を送ってもらったが殆ど当局者に取られた。だが不満も言えなかった。
子供たちは労働党の歴史・金日成著作選集・抗日戦争回想録を学校の授業で学ばせられる。
この政治科目は必須科目であり受けない者は卒業できない、学校は洗脳教育の場だった。
しかも学生達は農村の田植え・稲刈り・建設工事現場に駆り出された。
家畜は痛ければ悲鳴を上げられる。在日はどんなに辛くても悲鳴を上げることはできない。
黙って感情を殺し、作りで笑顔で当局者に盲従するより生きる方法が無かった。
日本でも辛い思いをしたが、北朝鮮での生活は本当の地獄の苦しみであった。
騙した北政権と朝鮮総連を恨んで、在日の母が自殺した。父は「生きてさえいれば、いつか在日の家族たちが北政権と朝鮮総連の嘘を糾弾してくれる。私達を救済してくれる」と云っていた。
だが日本にいる在日は北送在日を見捨てた。見殺しにした。日本にいる在日は北政権と朝鮮総連に忠実なケッセッキになっていた。在日には私達キポを返せ!と云える勇気のある在日はいなかった。父は「北朝鮮だけでなく、この世は地獄だ」と、栄養失調から病気を患って死んだ。 だから私は生きるため脱北した。
もう一人の証人が語っていた。
北朝鮮の清津港に着いて最初は悪い夢でも見ているのかと思った。自分の目を疑った。瞼を両手で擦った。自分の頬を思いっきり抓ったが痛かった。これは夢ではないことを悟った。
出された食事は日本では考えられないほど貧弱でマズかった。
時代遅れの施設を見てさすがに動揺した。不安を感じた。不吉な予感が脳裏をよぎった。
北送された在日は入国手続き等の名目で清津の宿舎(招待所)に約半月間、足止めされた。
なぜ足止めされるのか? 在日という北送された奴隷の品定めをするためであった。
まるで家畜の品評所であった。誰を何処の僻地の炭鉱、鉱山、農村に送るか面接の名を借りた物色をするための足止めであった。
帰国者の中から不満を言う者が出てきた。彼らは即刻連行されていった。
在日は最も差別され、北朝鮮の人間が嫌がる職場に強制的に配置された。
北朝鮮の人たちより安い賃金で重労働を強要された。
栄養失調で病死か餓死する寄る辺のない生活が待っていた。
日本で資本主義の空気を吸い自由を体験した在日が住めるところではなかった。
反面、北送の引率団長や朝鮮総連幹部たちは優遇され平壤での生活が許された。
しかし彼らも利用価値が無くなれば、即刻反動分子の濡れ衣を着せられ粛清された。
結局私は山奥に送られた。与えられた住まいは、そのままでは住めなかった。
食糧は主に雑穀であった。配給だけでは餓死する。今は配給も無くなっている。
毎日必死で食糧を探しに奔走した。子供たちを飢え死にさせないためであった。
しかし子供達はやせ細り栄養失調で苦しみ始めた。勉強どころではなかった。
さらに何とも我慢ならない事は自分の意思や力で何もできないことであった。
北朝鮮では、すべて党の指示に従うことしか許されなかった。
自分の力で仕事や商売もできず引っ越しでさえ自分の判断で決められないのである。
住む地域、場所、住まいは全て当局が決めるのである。
自分の意思では北朝鮮国内の移動もできない。私達は最初から言葉や行動を厳しく監視されていた。だから何も言えなかった。そんな自分の姿を鏡で見て呆気に取られた。痩せ細り黒ずんだ皮膚と貧しい身なり、まるで別人を見ているようであった。
その姿はまぎれもなく《奴隷》であった」と。
もう一人の脱北者が在日拉致犠牲者のことを話してくれた。奴隷のチェポは党や海軍、空軍には入れない。貧しいものは北で最も貧しい生活をしていた。
知人のチェポは乞食生活をしていた。裏通りの豚小屋のような汚い家に住んでいた。
ところがある日、この乞食チェポが党の命令で突然、表通りの豪邸に引っ越した。
衣服も豪華なものが党から支給された。私たちは驚いた羨ましかった。
北政権に大金を寄付した在日が日本から訪ねて来るからであった。だが在日が日本に帰ったら乞食チェポは、党の命令で元の裏通りの豚小屋の家に戻された。
チェポは在日に寄付を出させるための人質の見世物だった。
この現実を知りチェポは金になる人質動物園の人気動物だと知った。
チェポを北朝鮮人質動物園の檻に監禁したのは日本にいる在日だ。
檻に入れられたチェポを永遠に日本に帰れなくしたのは在日だ。
在日が人質の身代金として金や物を北送するからだ。
チェポを「日本に帰れなくした」のは在日と総連だ。その罪は重い。
在日が人質になり、北政権は莫大な利益を得た。日本からの送金が北政権を支えた。
だから北政権は人質であるチェポの一時帰国も自由往来も認めない。
本当に在日の北送拉致犠牲者を助けるというなら、北への送金を止めることだ。
日本で宗教団体の信者だったチェポがいた。その宗教団体の人達が帰国船を貸し切ったのかといわれるほど、たくさんきた。大阪から来たと云っていたチェポの話では、多くの同志と北朝鮮に来たら本尊を没収された。反発した多くが粛清されたという。壁の中に埋め込んで隠れて信仰を続ける者がいた。だが皆、見つかり逮捕され連れて行かれたと云っていた。そのチェポは逮捕された。
北朝鮮では金正日だけが神様であり、その他の信仰など出来ない。
北朝鮮の宗教団体を名乗る人達は皆、労働党統一戦線部の工作員たちだ。
北の当局者だ。私は元北当局者だった。北の宗教団体は海外の宗教団体を利用する工作機関だ。
日本にいる愛しい家族、兄弟、恋人、親族、友人らの名前を叫び血涙に塗れ処刑されたチェポをみた。朝鮮総連と北政権、国際社会と在日の人権を無視する姿勢を恨み嘆き、息絶えて逝ったという。
処刑だけでなく心を引き裂く苦痛に苛まれ、眠れぬ日々の孤独に悶え苦しんだ末に犠牲者が次々と自殺し、飢餓、病気で死に追い込まれたという。
この北送在日拉致犠牲者の孤児が「両親が生まれ育った故郷の日本に帰りたい」と、声を忍ばせ救済を求めてきた。在日の北送拉致は在日の人と財産を無償で北政権に生贄として献上した犯罪であった。
北朝鮮難民救援基金の加藤博理事長を始め韓国の脱北者団体からお聞きした話では、脱北難民の約八割が女性であり、その女性脱北者の約八割が日本円で数万円から十数万円で奴隷売買のごとく中国の山間僻地に売られ、弄ばれている。女奴隷になっているという。また北朝鮮国内の人身売買ブローカーは北政権の党や軍等の政府当局者だ。当局者はアッマだと、人身売買の犠牲になった女性が唇を震わせ語っていた。
また北朝鮮人民を安全に脱北させるためには北政権当局者に賄賂を出さねばならないという。
最近「脱北するお金を送ってくれ」と北朝鮮の家族から韓国の脱北難民に催促が来るという。
北政権は北朝鮮人民を人質にして、脱北難民から金品を搾取することを考え出し実行している。
一九九七年に脱北したリー・エラン(故郷平壤)さんの心の叫びを聞いた。
「もう騙されない、待てない、我々は北政権を告発する、行動する!」と集会で訴え始めた。「私の祖父母は六・二五南侵(朝鮮戦争)の時に越南(韓国に亡命避難)した。
そのため私が十四歳の時(一九七四年頃)に家族全員が平壤から追放された。
そして田舎の山奥で生活することになった。そこは「地上の地獄」であった。
そこで親しくなった多くの在日が「総連に騙されて北朝鮮に来た」と嘆き悲しんでいた。
こんな苦しい生活をするなら、あっさり殺すか、はっきりしてほしいと悲憤していた。
北朝鮮には人権という概念が全く無い。
だから『人間は人権を固有する』という言葉すら私たちは知らなかった。当局から受ける命令や苦痛は宿命として受け止めるしかないと思っていた。北朝鮮を抜け出して初めて人権と云うものがあり北朝鮮の『人権回復』のために努力している人達がいることを知り感動した。
この事実を北朝鮮にいる人間に伝え、もう少しだけ待っていてほしい。
解放される時は近いと大声で叫びたい」と。
「騙されて北送された在日」と「人権が人間の固有の権利であることを知らない北朝鮮の人民」は「人権とは無縁の奴隷生活」を強いられていたという、証言であった。
また某在日子孫の脱北亡命避難民が証言していた。
「祖父は朝鮮総連幹部であった。祖母は日本人妻であったが、北朝鮮の余りに酷い生活に耐えられず自殺した。北では自殺者は反逆者(反動分子)になり、その家族全員も反動分子にされ、粛清される。
だから北では家族に自殺者が出れば病死だと申告する。
北政権の自殺者を隠蔽する偽装政策である。だが現実は余りにも自殺者が多い。
おそらく北朝鮮の自殺者は飛び抜けて世界一だと思う。
日本人妻が集まって話していた。日本人妻は普段、現地の人とは会話を控えていた。
チェポ達もチェポだけで集まっていた。日本人同士が集まると話題が絶えなかった。
その時、日本に一時帰国した日本妻の話を聞いた。日本に帰って家族に会ってお金も貰った。
だが帰国後、そのお金や物は全て北政権当局者に没収されたと言っていた。
日本に行く前に労働党六課担当者に指示され『愛国事業』云々の誓約書を書かされていた。労働党六課は海外同胞業務を取り扱う部署だ。
在日や日本人が母国訪問団として北朝鮮に来る時、労働党六課担当者はチェポや日本人妻達に事前教育をするだけでなく、日本に一時帰国する北送日本人家族にも指示をする。
「北朝鮮の実情を絶対に話すな!話せば反動分子だ。将軍様のおかげで幸せに暮らしていると話せ、お金等を貰ったら帰国後に全て党に献上しろ『愛国事業』に協力しなければならない」という内容であったという。
愛国事業とは日本にいる家族にお金や物を北送してほしい。
朝鮮総連に協力してほしいと頼むことであった。チェポや日本人妻の義務であった。
この命令に逆らえば、問答無用で反動分子にされ粛清される。六課担当者の命令に逆らえば当事者だけでなく家族全員が粛清される。だから北送日本人妻は日本に帰っても北政権のことを口が裂けても何も言えなかった」と。
北送拉致された在日だけでなく日本人家族からも、お金や物を、もぎ取っていたのである。北送拉致された日本人家族も辛く苦しい生活を強いられていた。自殺や餓死、病死等で亡くなられた在日と日本人犠牲者の慟哭を思うと、胸が張り裂ける。
死に追いやられた北送拉致(人質)犠牲者の、ご冥福を心から祈るばかりである。
脱北帰国者支援機構(日本人妻の自由往来を訴える会)の坂中英徳代表が、北送された日本人妻の早期帰国を北政権に要求すべきだと日本政府に訴えている。
また公式の席で「北送犠牲者を放置する在日は、けしからん」と喝破したが、この訴えは私が取材してきた「北送在日拉致犠牲者全員」の怒りの叫びと同じであった。
その事実を思い出し全身が震え、胸が締め付けられ、息がつまりそうになった。
愚かな独裁専制君主と、その走狗たちが引き起こす、悲惨な人権蹂躙の殺人行為が今も尚、放置、黙認され、解決されず続いている。
在日(朝鮮総連と民団)の覚醒を信じたい。
「地上の楽園」というプロパガンダがなされた帰還(帰国)事業で北朝鮮に渡り、強制収容所等で肉体的、精神的苦痛を受けたとして、北朝鮮から脱北した大阪府に在住する韓国籍の高政美さん(47)=日本名・千葉優美子=が二〇〇八年六月十三日、北朝鮮への帰還事業を支援した朝鮮総連を相手取り慰謝料等約1100万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
日本国内在住の脱北者が北朝鮮帰還事業をめぐって提訴するのは初めてであった。
脱北者を支援する「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(三浦小太郎代表)によると日本国内に在住する脱北者は約170人であり、今後も同様の訴訟が検討されているという。
読売新聞の菊池嘉晃記者が読売ウィークリーに掲載した記事内容を綴る。
訴状によると、高さんは3歳だった1963年に両親とともに帰還事業で北朝鮮に渡り、政治的な理由で父や兄が強制収容所に入れられた。
高さん自身も8年前に脱北を試みて失敗し収容所で拷問を受けた。平成17年7月、2度目の脱北が成功して日本に入国した。高さんは「朝鮮総連は北朝鮮の実情を隠し『地上の楽園』と謳い高さん家族を誤信させた」と主張している。
帰還事業は在日朝鮮人を労働者や人質として利用するためのもので「囚人や奴隷と変わらない生活を強いられた。脱北失敗後は殴る蹴る等の激しい拷問を受けた」という。
ちなみに告発者の高政美さんは一九六三年、三歳の時に家族七人で北朝鮮に渡った。清津の港に着いた途端、高政美さんの兄が「ここは人間の住むところではない」と言いだし「無条件で日本に帰してくれ」と訴えながら帰国船から下船しなかった。
すると当局者は高さんの兄を無理やり「四十九号病院」という精神病院に隔離した。
数年後に高政美さんは兄を訪ねたが、そこは精神病院ではなく収容所そのものだった。
「建物すべてが鉄柵で覆われ、収容者は男女の区別もつかないような姿で、大小便もそのまま床に垂れ流しであった。恐ろしい動物園のようで逃げ出した」と。
その数年後、兄の死亡通知書を家族が受け取った母が「兄の骨だけでも取りに行きたい」と願っていた。だが元朝鮮総連の活動家で労働党幹部の父は「もう四十九号病院はない、解体され、そこにいた人間は政治犯収容所に送られている。私の立場があるから、これを外で一言でも漏らせば、俺たち一家は全員破滅だ」と言っていた。
その父も秘密警察(国家安全保衛部)に逮捕され、拷問を受け瀕死の状態で釈放された。その父親は「自分が北朝鮮に一時間でもいて日本に戻っていたなら北朝鮮に帰ろう等と絶対に云わなかったはずだ。日本で組織的に展開された宣伝を真に受けて自分の家族だけでなく多くの人たちを説得して北朝鮮に送り込んでしまった。
この罪は一生負っていかなければ…」と悔やんでいたという。
高政美さんの告発に対して朝鮮総連の関係者(工作員)は、「この裁判で高政美は絶対に負ける」「あの人たちは北朝鮮から逃げてきた人たちだ」、「三歳だった子供が何を言うか」と中傷、非難を展開している。
そして朝鮮総連の常套手段である「あいつらは、自分で勝手に行った」という卑劣なデマゴギーを広く流布している。然るに、この訴訟は韓国で暮らす脱北者たちにも影響を与え始めている。韓国の市民団体「被拉脱北連帯」の都希侖代表は「結果いかんでは北朝鮮に家族や親戚を残してきた脱北者らがリスクを承知の上、訴訟を起こす可能性が高い」といっている。
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