光復通信
モスクワ協定(信託統治)による朝鮮の臨時政府樹立策の霧散と
国連主導の南北総選挙実施による南北統一政府樹立決議の経緯
光復通信代表 鄭龍男(チョン・ヨンナム)
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※参考―モスクワ協定の信託統治による朝鮮臨時政府樹立策
①米ソ共同委員会構成 
②朝鮮の民主主義的諸政党や社会諸団体と協議して政府樹立を提案 →
③予備会談:1946.1.16~2.5 → 
④第1次:1946.3.20~5.7 第2次:1947.5.21~10.21 →

⑤民主主義臨時朝鮮政府樹立 →
⑥共同委員会と信託統治に関して協議 →
⑦信託統治軍は撤退(5年以内) →
⑧朝鮮の自主独立(南北統一)政府樹立であった。



①モスクワ協定に拠る朝鮮の臨時政府樹立政策
モスクワ協定の信託統治による朝鮮の臨時政府樹立(のちに自主独立統一政府樹立)を図る米ソ両軍代表者会議(1946年1月16日~2月5日)、第1次米ソ委員会(1946年3月20日~5月8日)、第2次米ソ共同委員会(1947年5月21日)は、協議対象になる政党と社会団体の範囲と資格問題などを口実に朝鮮の独立臨時政府樹立を事実上拒否する旧ソ連の南北分断固定化工作に拠り旧ソ連と米国が対立し、米ソ共同委員会は1947年10月18日の本会議を最後に完全決裂した。その結果、モスクワ協定で合意した信託統治に拠る南北朝鮮の臨時統一政府樹立政策は霧散し、東西冷戦の対立が激化した



②国連の南北統一政府樹立決議
モスクワ協定に拠る南北朝鮮の(統一)臨時政府樹立は不可能になったことから、米国は国連で朝鮮の統一政府樹立問題を審議すべきだと判断し、1947年9月17日に旧ソ連に通報すると同時に朝鮮の統一政府樹立問題を国連に上程した。国連政治委員会は10月28日から朝鮮問題の審議を開始した。
だが、ここでも旧ソ連と米国は激しく対立した。しかし「本来、朝鮮は一つの民族と国土である事実」を認知した国連加盟国は1947年11月14日の国連総会」で
「国連朝鮮臨時委員団の設置と朝鮮の総選挙実施に関する決議」(南北統一政府樹立政策案)を採択した。


この「国連朝鮮臨時委員団の設置と朝鮮の総選挙実施に関する決議」(南北統一政府樹立政策案)は「19483月までに南北の総選挙を実施して南北の統一政府を樹立し、米国とソ連の両国軍は韓半島から速やかに撤退し、南北朝鮮の自主独立(祖国統一)を承認する」という画期的な決議であった。


しかし、「国連朝鮮臨時委員団の設置と朝鮮の総選挙実施に関する決議」(南北統一政府樹立政策案)の遵守履行は旧ソ連の拒否工作によって阻まれた。南北総選挙を実施する国連朝鮮臨時委員団の北朝鮮地域入国」をソ連占領軍が拒否したのである。その結果、国連主導により19483月までに南北の総選挙を実施して南北の統一政府を樹立し、米国とソ連の両国軍は韓半島から速やかに撤退し、南北朝鮮の自主独立(祖国統一)政府を樹立する国連決議」は遵守履行できなかった。


③国連決議の拒否は侵略犯罪
国連朝鮮臨時委員団は1948年1月8日にソウルに到着して活動を開始していたが、国連と加盟国の努力はソ連の暴挙で霧散した。もし国連決議が遵守履行されていたなら朝鮮(韓半島)の南北平和統一は1948年に実現していた。真の光復(朝鮮の解放独立)が成し遂げられ、北朝鮮の悲劇は解消していた。南北の統一阻み分断を固定化した旧ソ連のスターリンとソ連軍人・金成柱は、まぎれもない侵略者であった。


モスクワ協定の信託統治合意に違反し、しかも国連決議(朝鮮臨時委員団の北朝鮮地域入国)を拒否する国際法違反は侵略犯罪であり、侵略犯罪により遵守履行が停止した南北の統一政府樹立国連決議は今も有効である。しかし当事者のコリアンは「国連主導の南北統一政府樹立決議」の遵守履行を訴えないのみか同族相殺の対立に狂奔してきた。
この愚行が南北平和統一(光復)の道は閉ざし
てきた。


④国連決議阻止と南北分断固定化策謀
旧ソ連占領軍は国連決議と朝鮮の人々の意思に反して一方的に「
統一的な朝鮮民主国家の憲法を制定するという偽装名目を掲げ「極東アジア共産主義戦線」といえる(祖国統一)民主主義人民統一戦線」に属する各政党及び社会団体代表で構成された朝鮮臨時憲法制定委員会」を19471118に組織した。そして国連の朝鮮臨時委員団の入北を拒否する巧妙な工作」を次々と実行した。


北朝鮮政府樹立前の
1948年2月8日に朝鮮人民軍(極東アジア共産軍)創設した
ソ連占領軍は1948年4月に憲法草案を採択し、1948825日には単一候補に対する公開の賛成・反対投票方式による最高人民会議の代議員選挙を実施した。そして98日には内閣を構成し、194899日に金成柱を首相とする「朝鮮民主主義人民共和国」政府(東側の傀儡政権)を樹立した。


しかも信託統治期限の1950年に6.25南侵戦争を決行し、スターリンの死後、ソ連の軍人金成柱(故・金日成主席)と世襲軍政は1953年の休戦後から今日まで221件の再南侵工作の対南(韓国)テロ犯罪を実行してきた。


⑤国連決議第195号
朝鮮問題を放置できないと判断した国連は1948226日、韓半島で選挙が可能な地域で総選挙を実施することを決定」した。そして51日に韓国政治史上最初の総選挙が実施され制憲国会が構成された。717日には憲法が公布され李承晩が初代大統領に選出され、1948815日に大韓民国の樹立が宣布された。


大韓民国政府が樹立されたことを確認した国連朝鮮臨時委員団は108日に国連総会に最終報告書を提出した。この報告書は「大韓民国政府は大韓民国の国民が選出した代表によって成立され、同政府の機能は徐々に発展している」とし、国連の全加盟国の積極的な協力下で韓国の独立と統一が達成できる方法を講究するようを勧告していた。


そして
12月6日、第3次国連総会の政治委員会は大韓民国の代表が出席できるよう招請する決議を採択した。この国連決議に拠り大韓民国政府は国連総会に初めて代表団を派遣した。


また国連総会に上程された朝鮮臨時委員団の報告書が審議され、12月12日に国連は
大韓民国政府を韓半島の唯一合法政府として承認する決議」(国連総会決議第195号)を採択した。この国連決議により1949年1月6日には米国、そして世界各国が相次ぎ大韓民国政府を韓半島(朝鮮)の唯一合法政府だと承認した。


⑥南北分断固定化の悲劇
スターリンの忠臣・ソ連軍人金成柱ファミリー世襲独裁軍政は、南北を分断固定化して反発する邪魔者は家族もろとも根こそぎ(全員)処刑し、さらに出生の秘密を知る北軍政の高官であった国内派、中国派、ソ連派、そして側近まで問答無用でマグチャビ(根こそぎ)処刑し、しかもスターリンと金成柱の個人崇拝政策を非難したフルシチョフ、コスイギン、ゴルバチョフに背を向け、中国政府に追随する裏切り外交を常套手段にし、六十数年間、一貫して国際社会を欺(あざむ)き、捥ぎ取った対北支援の「ヒトとカネとモノ」を軍拡にのみ投入してきた。国際社会と世界の市民を騙し、北朝鮮住民を死に追いやり「世界に類が無い絶対党、金日成王朝、金日成民族」という「世界最悪の人権侵害国家」を築いた。


その結果、
南北分断の悲劇は約六十五年間も続き、その間に死地に追いやれた人々は一千万人を超えるという。もはや北軍政の人権侵害と再南侵戦争挑発犯罪を野放しにする悪政時代は終焉させなければならないこれからも南北分断の悲劇を継続させれば最悪の終末核戦争を誘発させるであろう。北軍政の犯罪と北朝鮮住民の悲劇を放置・傍観・黙認することは自殺行為であり、「人間失格の重罪」である。


⑦南北平和統一実現策
2011年の1月、チュニジアで起きた自由と人権を求める民衆運動が独裁政権を打倒した。この独裁政権打倒運動はヨルダン、そしてエジプトに拡大している。朝鮮国内と国外でも北朝鮮人民が北軍政打倒行動を起こし始め、金成柱の息子・金正日と孫の金正恩の世襲独裁政権は今、未曽有の崩壊危機に瀕している。ようやく不可能といわれてきた北朝鮮問題を解決できる変革の時代が到来した。


北朝鮮問題を解決する唯一実現策は韓半島の自由平和統一である。南北自由平和統一実現策は1947年1114日の国連総会で採択された「国連朝鮮臨時委員団の設置と朝鮮の総選挙実施に関する決議」(国連主導により南北の総選挙を実施し南北の統一政府を樹立する決議)の遵守履行だけである。


今こそ南北の総選挙を実施し、南北統一政府を樹立することが北朝鮮・韓国・日本・諸外国・在日コリアンの拉致犠牲者全員を解放救出し、北東アジアの非核化と共存共栄を実現する唯一の平和政策である。
自由と人権を尊ぶコリアンは勿論、北東アジア市民の覚醒と行動が北朝鮮問題を解決する原動力である。

覇権と軍拡に狂奔し、人々を拉致・粛清する独裁者を支援する人権侵害悪政を放置・傍観・黙認し、無原則な対北支援を繰り返す過ちは、もはや赦されない。いつまでも「だまされた」という詭弁は通用しない。

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