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①文中の内容
文中の詳細内容は書籍「拉致と朝鮮総連」をご参照ください。またソ連の元特別宣伝部長グレゴリー・メクレル、元ソ連極東軍中佐ワシーリー・イワノフ、元ソ連共産党中央委員ワジム・トカチェンコ、元在朝ソ連大使館情報分析官ドミトリー・カプースチン、元朝鮮文化宣伝部次長・全相辰、元朝鮮副首相補佐官・呉基完、またカン・インドク氏らの証言動画ほか北世襲軍政の犯罪動画は「光復通信」ホームページ(http//www.peoplelink.jp/)をご参照ください。
②使用する用語に関して
南北分断以前の韓半島統一国家を「朝鮮」、南北分断以後の以北を「北半部」、以南を「南半部」、北半部統治区域に樹立された政府を「北朝鮮」、南半部統治区域の政府を「韓国」、朝鮮半島を「韓半島」と表記する。さらに「北朝鮮の故・金日成主席」は本名の「金成柱」と表記する。
③北朝鮮を占領したソ連軍の実態。
数学や国語の教育では「嘘」は通用しない。だが歴史教育には「嘘」がある。軍事大国の植民地(領土)拡大犯罪を隠蔽する歴史改ざんの「嘘」という洗脳教育目的の中には、人々を騙して服従させ独裁者を崇拝させる権力維持策謀も秘められている。偽装と虚言で歪曲・捏造され、改ざんされた歴史教育と独裁者崇拝洗脳包摂教育だけが流布されてきた秘境・北朝鮮は「地上の地獄」に変貌していた。この悲劇の発生源を調査・究明・公開せず、元凶を厳しく糾弾しない政治家・学者・専門家・言論人こそ、北朝鮮で苦しむ拉致犠牲者全員の解放救出を阻んできた偽善者であり、共犯者だと非難されても仕方がないと思う。
韓半島北半部の住民は「日帝36年と北軍政66年の約102年」に及ぶ植民地支配に苦しんできた犠牲者であった現実と南北分断悲劇の歴史真相を見極め心痛する人は殆どいない。約66年という永き年月、韓半島北半部(半島収容所)で繰り広げられた侵略者の植民地政策蛮行犯罪の実態は完全隠蔽されてきた。
近年、脱北難民の命がけの告発に拠り、ようやく表面的な北朝鮮の人権侵害情報の一部が世界で報道されるようになった。しかし北朝鮮の悲劇を発生させた元凶を公開する情報は皆無に等しい。その原因は幼児期から独裁者崇拝洗脳教育を受けてきた今の北朝鮮住民自身が北朝鮮の悲劇を発生させたスターリンと金成柱の正体と犯罪と目的をまったく知らないことにある。またソ連占領軍の植民地政策の真相公開を企図した北朝鮮の公民である北半部住民と在日コリアンの有力者・学者・言論人ら先人が悉く粛清されてきたことにある。そして北軍政と朝鮮総連らに懐柔され後押しされた傀儡が常に台頭し歪曲・捏造した北朝鮮情報を流布してきたことにあった。
その結果、1945年8月9日に満州国境を突破し、韓半島に侵攻して北半部を占領したソ連軍の蛮行とスターリンの極東アジア共産化策謀、そして金成柱ファミリー世襲独裁軍政の正体と犯罪と目的は闇に葬られ、隠蔽されてきた。
韓半島の北半部で生まれ育ち生活していた生き証人は「ソ連占領軍は強盗・強姦集団であった」と語っていた。ロシア語の「ダワイ」とは「よこせ」という意味である。ソ連軍の兵士は韓半島北半部で「ダワイ」を連発し、手当たり次第、何でも略奪した。北半部の住民たちは自警団を作り、ソ連兵が現れると軒先に吊るした鍋や釜を叩いて近隣に危険を知らせた。怯えた女性たちは、すぐさま家の奥に逃げ込み脂汗を流し震えながら貞操を守るため必死で身を隠した。「ダワイ」を喚くソ連軍は工場の機械類や原材料は勿論、各家庭の台所から、なけなしの卵や野菜まで略奪し、すべて持ち去りソ連に送った。ソ連占領軍は紛れもない侵略者であった。この侵略者の指示通り暗躍した傀儡がソ連軍人の金成柱であった。
北半部の人々は気の毒なことに日本の植民地からやっと解放された直後、今度はソ連軍に占領支配され、より悪辣な略奪に切歯扼腕するより術がなかった。ソ連占領軍の侵略行為に激怒した北半部の有力者と人々はソ連の占領統治に激しく反発し、ソ連との距離を置いて行動した。特に筋金入りの北半部の抗日独立闘士はソ連軍に協力することは南北の分断を認めることだと激しく反抗した。しかし彼らは後に人知れず粛清されていた。
金成柱が「朝鮮人が神格化した金日成将軍に偽装した目的」は、当時の北半部住民が抱く反ソ意識を解消するだけでなく、朝鮮人を共産主義者に洗脳包摂し、朝鮮人を極東アジア共産主義革命軍人(最前線の特攻隊)に養成することであった。このスターリンの恐るべき極東アジア侵略策謀を先ず知ることが北朝鮮問題解決策を見出す道筋であり、糸口であった。
ところで「朝鮮を解放したのは金日成主席だ」という「嘘」を信じている人々が今も大勢いる。1945年8月15日に朝鮮に居なかった金成柱(金日成主席)は七歳の時に中国に渡りソ連に逃れて以後、約二十六年ぶりの1945年9月19日にソ連の軍艦「ブガチョフ」に乗船して海上から北朝鮮の元山港に上陸した事実を知らず、また1945年当時の年齢は33歳であった金成柱は1910年の韓日併合の年には生まれてもいなかったこと、しかも「抗日伝説英雄の金日成将軍」とは年齢が倍も違うことさえ気づかない人もいる。朝鮮総連と朝鮮学校の洗脳教育に犯された人々は「金成柱(金日成主席)を伝説の英雄・金日成将軍だ」と崇拝讃嘆しているが、まさか「生前の胎児が、あるいは幼児の金成柱が抗日闘争を展開した」と反論するのであろうか。(金成柱の正体と犯罪と目的、そして北軍政と日韓親北組織の詳細は書籍「拉致と朝鮮総連」に記した)
④朝鮮建国委員会結成とソ連占領軍の暗躍
1945年8月16日、ソウルでは呂運亨を委員長とする朝鮮建国準備委員会が結成された。平壌では1945年8月17日に曺晩植を委員長とする朝鮮建国準備委員会平安南道支部が結成された。反共主義者の曺晩植は「朝鮮のガンジー」といわれた民族主義者で平安南道の民衆から絶大な尊敬と信頼を集めていた。日本の統治下、上海の大韓民国臨時政府の内務総長であった平安南道出身の独立運動家である安昌浩が病死した後、平安南道の独立民族運動指導者として活動していた「黒ぶち丸メガネと白鉢巻き」という素朴なスタイルの曺晩植が指揮する「建国準備委員会平安南道支部」は他の道・市・郡のモデルになり、各地域で次々と朝鮮建国準備委員会が設立された。
強大なソ連軍の後押しを受けた金成柱もソ連占領軍の植民地政策に反発する北半部住民の支持を得ることは困難だった。そのため金成柱は北半部の民衆から圧倒的支持を集め大きな影響力を持っていた曺晩植の協力を得ようと策を講じた。1945年9月30日夕刻、平壌の料亭「花房」に曺晩植を招待した金成柱は平身低頭して「曺晩植先生、私にお力をお貸し下さい」と哀願したという。しかし「朝鮮人の所願である朝鮮の独立と建国(新政府樹立)」を固く決意していた曺晩植は頑として首を縦に振らなかった。
このような状況下、スターリンと金成柱は「曺晩植を核とする朝鮮人による朝鮮の独立と建国運動を根絶する」ために1945年10月20日に「朝鮮共産党北朝鮮分局」を結成した。そして韓半島北半部の占領支配政策を本格的に実行した。一方、曺晩植は1945年11月3日に「朝鮮民主党」を結成し「民族の独立、南北の統一、民主主義の確立」を三大綱領に定めた朝鮮人による自主・自立・独立自治政府の樹立運動を展開した。
ソ連占領軍の軍人金成柱VS「朝鮮民主党」曺晩植党首の対決結果は、北半部民衆の熱狂的な支持を受けた「朝鮮民主党」曺晩植党首の一方的な勝勢であった。結党一カ月で党員が五十万人を超えた「朝鮮民主党」をはじめ朝鮮人の自主的努力で統一国家が建国され、朝鮮の自治政府が樹立されると思われた。
だがソ連占領軍と金成柱は、後に曺晩植党首を拉致監禁し銃殺した。しかも自由と人権を求める民衆も次々と抹殺した。ソ連占領軍人金成柱は「朝鮮を統一に導く純粋な民族独立組織を無残に破壊した」のである。金成柱の売国反逆犯罪により「朝鮮人に拠る自主・自立・自治政府を樹立する所願」は砂上の楼閣と化してしまった。しかも画期的な自主独立運動史実まで金成柱の悪辣な歴史の改ざん隠蔽工作と拉致と粛清、洗脳と包摂工作によって闇に葬られてしまった。今も先軍恐怖政治の銃剣を振りかざす金成柱の息子・金正日と孫の金正恩には「民主主義を語る資格は無い」と断言する。
⑤スターリンと傀儡・金成柱の犯罪
1945年8月26日、ソ連占領軍は朝鮮占領軍司令部を平壌の鉄道ホテルに設置し、占領軍司令官にソ連軍のチスチャコフ大将を就任させた。この時、ソ連軍がソウルや釜山まで侵攻すれば朝鮮半島全土を占領することも可能であった。だがソ連軍は南侵しなかった。ソ連軍が南侵を直接実行すれば国際社会の非難は必至であった。しかもソ連占領軍の蛮行に拠り、ソ連の植民地政策に反対する北半部住民の支持を得ることは不可能な状況に陥っていた。この現実を直視した策士スターリンは起死回生の策謀を実行した。ソ連に忠誠を誓う傀儡の朝鮮人指導者を祭り上げ、前面に立て、新たに編成する朝鮮人の軍隊(朝鮮人民軍)を韓国と日本に侵攻させる戦略を密かに練り上げ水面下で実行したのである。
金成柱と朝鮮総連が「地上の楽園・北朝鮮に帰ろう」などの大嘘で在日を騙して北送したように…。「民衆の願望を公約」に掲げ「全世界共産化」を目論む独裁者の強欲な覇権野望実現のために…。スターリンと金成柱の本音ではない「朝鮮民衆の所願である祖国統一」という偽りの公約を掲げ、甘言に魅了されたコリアンを包摂洗脳し、極東アジア共産主義革命軍の軍人に養成するために…。
韓国の「東亜日報」元社長であり言論人で歴史家の金学俊氏は「スターリンが金成柱を選択したのであり、それがすべてだった。だからこそ金成柱はスターリンに対して歯が浮くような追従を何憚ることなく行った。ソ連が北朝鮮を占領統治した三年の間、金成柱の演説をざっと眺めわたしてみるとスターリンへの称賛と「へつらい」を除けば何も言っていないに等しいことが自ずと解り、ほとんど吐き気をもよおすほどである。…(中略)…スターリンの誕生日の度に彼の長寿を祈願する北朝鮮民衆の手紙を大量に送る運動、そして北朝鮮女性の刺繍を送る運動を指導したのは不気味ささえただよう愚行であると思えてならない」(朝日新聞社刊「北朝鮮五十年史金日成王朝の夢と現実」より)と語っている。
⑥金日成将軍に偽装した金成柱の擁立
スターリンの密命を受けたソ連の特別宣伝部長グレゴリー・メクレルは早速、北半部の指導者に据える朝鮮人有力者を選抜するために北半部の有力者たちとの面談を開始した。面接した曺晩植をはじめ有力者たちはメクレルの選抜基準に合致しなかった。メクレルの選抜基準に合致したのは朝鮮人を虫けらのように殺害できる朝鮮系ソ連軍人の金成柱(後に北軍政首領になった故・金日成主席)だけであった。
参考に記すが当時、 |